2011年10月17日
奄美へ行ってきました ( その1 )
奄美出身 の 恵美ちゃん。
私が 急性リンパ性白血病 を 発症し 大学病院 に 入院した時
お揃いの帽子 を 被って お揃いの Tシャツ を 着て
【 双子ちゃん?(笑) 】 なんて 周囲の人に 振り返られるぐらい
いっつも 一緒にいて すっごく仲が良かったんだよ。

この写真は 恵美ちゃんの 部屋に 今でも 飾ってあった。
懐かしくて パチリ と 撮って帰ってきたの。
左側が 恵美ちゃん。 右側が 私 だよ。
( ちなみに 二人が持ってる 絵は 私が 描いたの ( 笑 ) 似てるでしょ!)
平成13年12月16日 恵美ちゃんの命日。 享年20歳。
私も 最近 思うことあり、 グルングルンと 混乱 が 続く中
急に 恵美ちゃん家 ( 奄美 ) に 行きたくなってね、
そして その日の夜に 奄美へ 飛んだの。
恵美ちゃんのお母さんが 空港まで お迎えに来てくれてね、
たぶん9年ぶりとかの 再会 だったんじゃないかな…。
電話とかは しょっちゅう してるんだけどね。
お母さんが 私の 頬を 温かい両手で ムギューーーって 挟んで
言い放った言葉。 ま、これ ある意味 本音だろうね ( 笑 )
「 いづみちゃん! んもおぉ~ぅ、急だからっ! 」
「 はひ、すひはへん ( はい すみません ) 」 ( 小声 )
それから あったかい ハグをしてくれてね、
一緒に 夕飯を 食べに行ったの。
( 「 あまりにも 急だったから 夕飯の 買い物が 出来なかったんだ 」 って言ってた。
うんうん。そうだよね。うんうん。 )
夕飯は、鶏飯を 食べに 行ったんたんだよ。
そして 鶏飯 を 食べながら お母さんが こう 言ってくれたの。
「 いづみちゃんが おばちゃんには わからないなにかを
色々と 思い 考え 前へ歩めずにいるとしても、
それでも 今日 奄美へ 来てくれた。恵美のお墓参りに行きたい って言ってくれた。
いづみちゃんが そう言って 来てくれるだけで、
おばちゃんは 嬉しいし、 元気なるよ 」 って。
でもね…。 そう 言われても その言葉を受け取れずに居る自分がいたの。
バカ だよね アタシ。
恵美ちゃんの お父さんに 逢うまでは …。
つづく。
私が 急性リンパ性白血病 を 発症し 大学病院 に 入院した時
お揃いの帽子 を 被って お揃いの Tシャツ を 着て
【 双子ちゃん?(笑) 】 なんて 周囲の人に 振り返られるぐらい
いっつも 一緒にいて すっごく仲が良かったんだよ。

この写真は 恵美ちゃんの 部屋に 今でも 飾ってあった。
懐かしくて パチリ と 撮って帰ってきたの。
左側が 恵美ちゃん。 右側が 私 だよ。
( ちなみに 二人が持ってる 絵は 私が 描いたの ( 笑 ) 似てるでしょ!)
平成13年12月16日 恵美ちゃんの命日。 享年20歳。
私も 最近 思うことあり、 グルングルンと 混乱 が 続く中
急に 恵美ちゃん家 ( 奄美 ) に 行きたくなってね、
そして その日の夜に 奄美へ 飛んだの。
恵美ちゃんのお母さんが 空港まで お迎えに来てくれてね、
たぶん9年ぶりとかの 再会 だったんじゃないかな…。
電話とかは しょっちゅう してるんだけどね。
お母さんが 私の 頬を 温かい両手で ムギューーーって 挟んで
言い放った言葉。 ま、これ ある意味 本音だろうね ( 笑 )
「 いづみちゃん! んもおぉ~ぅ、急だからっ! 」
「 はひ、すひはへん ( はい すみません ) 」 ( 小声 )
それから あったかい ハグをしてくれてね、
一緒に 夕飯を 食べに行ったの。
( 「 あまりにも 急だったから 夕飯の 買い物が 出来なかったんだ 」 って言ってた。
うんうん。そうだよね。うんうん。 )
夕飯は、鶏飯を 食べに 行ったんたんだよ。
そして 鶏飯 を 食べながら お母さんが こう 言ってくれたの。
「 いづみちゃんが おばちゃんには わからないなにかを
色々と 思い 考え 前へ歩めずにいるとしても、
それでも 今日 奄美へ 来てくれた。恵美のお墓参りに行きたい って言ってくれた。
いづみちゃんが そう言って 来てくれるだけで、
おばちゃんは 嬉しいし、 元気なるよ 」 って。
でもね…。 そう 言われても その言葉を受け取れずに居る自分がいたの。
バカ だよね アタシ。
恵美ちゃんの お父さんに 逢うまでは …。
つづく。
Posted by Teresa at 12:02
│ひとりごと